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小澤征爾さんがグラミー賞を受賞することの重み

少し前の話にはなりますが、小澤征爾さんが、サイトウ・キネンオーケストラを指揮したアルバムでグラミー賞を受賞されたとのことで、大変に素晴らしい事だなぁと久々にワクワクしております。

サイトウ・キネンオーケストラは、言わずと知れた日本最高峰の楽団で、小澤征爾さんを始めとした斎藤秀雄さんの弟子たちが師匠を宣揚するために作った楽団です。

では斎藤秀雄とはいかなる人で、その功績とは何でしょうか。

斎藤秀雄ってどんな人?


端的な言えば、日本に世界に通用するだけのクラシックの基礎を築いたのが、斎藤先生(彼の功績を思うに、そう呼ばずにはいられません)まさにその人なのです。

斎藤先生は桐朋学園という日本初の音楽学校を作り、「指揮法教程」を中心に、音楽を科学的に緻密に分析したメソッドを作りあげ、小澤征爾さん等優秀な音楽家を育成しました。

そもそも、日本人にとってクラシックという音楽は、ネイティブな文化ではありません。
高温多湿で木造建築が多く、気候からして西欧諸国とは違う日本人にとって、当初クラシック音楽は難しかったようで、初期の日本のオーケストラはアマチュアに毛の生えた程度のものだったようです。

そんな中で、斎藤先生は合奏前の集合時間といった音楽に向き合う姿勢から、オーケストラの基礎を徹底的に学び、後進にも叩き込んでいきます。

その結果、小澤征爾さんを始めとした優秀な音楽家を多数輩出し、彼等が現代日本のクラシック界を作り上げていったのです。

東洋人と西洋音楽

さて、いろいろな文章や映像を見るにつけ、小澤さんにとって1つ重要なテーマは「東洋人がいかにしてクラシックを理解し演奏するか」ということであるように感じます。

先程言ったように、日本人にとってクラシックという音楽は「外来種」でしかなく、元々の日本人の文化的素養では理解しきれない部分がたくさんある音楽です。
さらに、そもそも日本の気候はクラシック楽器と相性が悪く、どんな一流オーケストラが来日しても楽器が本来のポテンシャルを発揮できないため「日本では本物のクラシックを生で聴くことができない」とすら言われるほどです。

小澤征爾さん自身は、当時日本の支配下にあった満州の出身ですが、東洋出身の音楽家が西洋生まれの音楽であるクラシックの本質にどれだけ肉薄できるのかという点については、かなりナイーブだったようです。

以前僕が見たドキュメンタリーの中で、小澤征爾さんとヨーヨーマさんが「東洋人がクラシックをするとはどういうことか」という点について話し合う場面があったのですが、ヨーヨーマさんがカメラを気にして当たり障りない返答をするのを見て小澤征爾さんがカメラを止める、という場面がありました。

そのくらい、音楽家にとって西洋と東洋の間にある壁は高いのです。

世界で「勝った」小澤征爾

そんな中、小澤征爾さんは師匠が作り上げた「齋藤メソッド」を武器に、ボストンシンフォニーやウイーン国立歌劇場の音楽監督を歴任し、また、「サイトウ・キネン・フェスティバル 松本」の開催や水戸室内管弦楽団の設立など、国内のクラシック音楽の発展にも尽力します。

さらに、日本人として初のウィーン・フィルハーモニーのニューイヤーの指揮をしたりと数々の結果を残してきました。

そして、今回小澤征爾さんは、サイトウ・キネン・オーケストラを指揮したラヴェルの「こどもと魔法」で、グラミー賞を受賞します。
師匠である齋藤先生の教えを糧に世界で戦ってきた小澤征爾さんが、その恐らくはその晩年期に、師匠の名を冠したオーケストラとの共演で世界で最も権威のある音楽賞であるグラミー賞を受賞したのです。
これほど胸熱で、これほど美しいことがあるでしょうか。

終わりに

僕自身、学生時代にはサークルのオーケストラで指揮を振ったこともありましたし、今でも友人らの手伝い等でたまにアマチュア・オーケストラのステージに乗ることもあります。
そのような形で、この国でクラシック音楽を楽しむことができるのは小澤征爾さん等先人達の血の滲むような戦いがあってこそなのです。

そのことを改めて強く感じ、またその労苦と志の高さに心からの喝采と感謝を送りたいです。
そして、アマチュアの立場であれ、日本のクラシックがこれからも人々の心の支えで在り続けることができるにはどうしたらよいか、改めて自分にできることを考えてみたいな、と思いました。