僕は廃墟が好きなんじゃなくて、廃墟ウォッチャーをウォッチするのが好きなんです。
皆さん、こんばんは。パパオタです。
今回は、僕の趣味の一つである「廃墟ウォッチャーのウォッチ」について書きたいと思います。
なぜ素直に廃墟好きって言わないのかって?
普通はそうですよね。
でも、僕は廃墟そのものは正直さほど好きじゃないです。ってか絶対に行きたいとか思いません。
それには、雨上がりの道端の水たまりくらいにふかーい訳があるのです。
まず、僕が廃墟にハマるきっかけを作ったサイトを紹介します。
「ヨッキれん」こと平沼義之さんが運営しておられる「山さ行がねが」です。
正確には、廃線と廃道のサイトということになるかと思います。
このサイトは非常に濃い内容で、まず、平沼さんは割りとガチでヤバイ(命の危険もありそうな)立地の廃墟にも、自転車にまたがり突撃してきちっと帰還してレポートを執筆しておられるので、その時点で結構キテます。
更に、実地調査以上に手間の掛かった、膨大な量の文献による精緻な歴史考証も実施しており、単なる廃墟めぐりを超えて、その物件の歴史と今に濃密に触れ合っておられるのがこの「山さ行がねが」というサイトなのです。
さて、数年前このサイトに出会った僕は、この妖しくもどこか懐かしい香りのする濃密な世界に傾倒していきます。
当時は、寝る間を惜しみ目を真っ赤にしながら、膨大な廃道、廃墟のレポートを時を忘れて読み漁ったものでした。
ちなみに、僕がいちばん好きなレポートは、「釜トンネル」のレポートです。
そうやって廃墟の世界にのめり込んでいった僕は、当然の帰結として次第にある思いを抱いていくようになります。
「僕も実際に廃墟に行きたい」と。
その思いはすぐに実行に移されることとなります。
当時八王子に住んでいた僕が向かったのは、「日原古道」です。
ちなみに「山さ行がねが」での日の原古道のレポートはこちら。
意気揚々と家を出発し現場に向かった僕でしたが、数時間もしないうちに絶望に打ちひしがれながら帰途に付くこととなります。
以下実際の現場で僕が感じたことです。
まぢ怖い。死にたくない。
前もって覚悟はしていたのですが、正直ここまでヤバイとは思ってませんでした。
ちょっと足を踏みはずせば、簡単にあの世行き。
しかも、すっかり忘れてましたが僕高所恐怖症。
ここまでの恐怖を感じたのは、出産直後の病院に娘の服を持っていくのを忘れて嫁にブチギレられた時くらいです。
ちょー汚い。
これも当然予想されているべきだったのですが、めっちゃ服が汚れました。
靴の中まで土まみれになるし。
気分は最悪でした。
寒い。帰りたい。
僕が行ったのは晩秋。
標高もそこそこある場所でしたし、めっちゃ寒い。
ということで、先輩廃墟ウォッチャーのタフさを身にしみて実感しつつ、僕の廃墟めぐり初陣は散々な結果で幕を閉じました。
上記の苦い経験を通して気づいた事があります。
僕は、実際に廃墟に行きたかったわけではなく、ただ、廃墟ウォッチャーのレポートにある雰囲気が好きだっただけなのだ、と。
それに気づいて以来、快適なマイルームで、日々命をかけて実地調査を行い執筆されたレポートを、お菓子片手に楽しむのが僕の日課となりました。
正直それで超満足です。
廃墟以外にも、現場に行くより映像とかで楽しんだほうが気楽なものってある気がします。
例えば、ロックフェス。長蛇の列に並んだり、夏は熱中症、冬は寒さと戦ったり、なかなかトイレに行けなかったり。大変。
廃墟も含め、上に挙げたような趣味は複数の属性の事を楽しめる必要があります。
例えば、廃墟であれば廃墟好きとアウトドア好き、ロックフェスであれば、音楽好きとビール片手にウェーイ好き、ですね。
いずれにしても、余程の事でない限りは、他の人が楽しんできてレポートしたものを、快適な部屋で楽しむ方がよほど楽です。
それでもどうしても満足できないなら、その時点で実際に自分自身で体験する事を考え出しましょう。
「実際手を出すより端から眺めてたほうが楽しいことってたくさんあるよね」っていうお話でした。
小澤征爾さんがグラミー賞を受賞することの重み
少し前の話にはなりますが、小澤征爾さんが、サイトウ・キネンオーケストラを指揮したアルバムでグラミー賞を受賞されたとのことで、大変に素晴らしい事だなぁと久々にワクワクしております。
サイトウ・キネンオーケストラは、言わずと知れた日本最高峰の楽団で、小澤征爾さんを始めとした斎藤秀雄さんの弟子たちが師匠を宣揚するために作った楽団です。
では斎藤秀雄とはいかなる人で、その功績とは何でしょうか。
斎藤秀雄ってどんな人?
端的な言えば、日本に世界に通用するだけのクラシックの基礎を築いたのが、斎藤先生(彼の功績を思うに、そう呼ばずにはいられません)まさにその人なのです。
斎藤先生は桐朋学園という日本初の音楽学校を作り、「指揮法教程」を中心に、音楽を科学的に緻密に分析したメソッドを作りあげ、小澤征爾さん等優秀な音楽家を育成しました。
そもそも、日本人にとってクラシックという音楽は、ネイティブな文化ではありません。
高温多湿で木造建築が多く、気候からして西欧諸国とは違う日本人にとって、当初クラシック音楽は難しかったようで、初期の日本のオーケストラはアマチュアに毛の生えた程度のものだったようです。
そんな中で、斎藤先生は合奏前の集合時間といった音楽に向き合う姿勢から、オーケストラの基礎を徹底的に学び、後進にも叩き込んでいきます。
その結果、小澤征爾さんを始めとした優秀な音楽家を多数輩出し、彼等が現代日本のクラシック界を作り上げていったのです。
東洋人と西洋音楽
さて、いろいろな文章や映像を見るにつけ、小澤さんにとって1つ重要なテーマは「東洋人がいかにしてクラシックを理解し演奏するか」ということであるように感じます。
先程言ったように、日本人にとってクラシックという音楽は「外来種」でしかなく、元々の日本人の文化的素養では理解しきれない部分がたくさんある音楽です。
さらに、そもそも日本の気候はクラシック楽器と相性が悪く、どんな一流オーケストラが来日しても楽器が本来のポテンシャルを発揮できないため「日本では本物のクラシックを生で聴くことができない」とすら言われるほどです。
小澤征爾さん自身は、当時日本の支配下にあった満州の出身ですが、東洋出身の音楽家が西洋生まれの音楽であるクラシックの本質にどれだけ肉薄できるのかという点については、かなりナイーブだったようです。
以前僕が見たドキュメンタリーの中で、小澤征爾さんとヨーヨーマさんが「東洋人がクラシックをするとはどういうことか」という点について話し合う場面があったのですが、ヨーヨーマさんがカメラを気にして当たり障りない返答をするのを見て小澤征爾さんがカメラを止める、という場面がありました。
そのくらい、音楽家にとって西洋と東洋の間にある壁は高いのです。
世界で「勝った」小澤征爾
そんな中、小澤征爾さんは師匠が作り上げた「齋藤メソッド」を武器に、ボストンシンフォニーやウイーン国立歌劇場の音楽監督を歴任し、また、「サイトウ・キネン・フェスティバル 松本」の開催や水戸室内管弦楽団の設立など、国内のクラシック音楽の発展にも尽力します。
さらに、日本人として初のウィーン・フィルハーモニーのニューイヤーの指揮をしたりと数々の結果を残してきました。
そして、今回小澤征爾さんは、サイトウ・キネン・オーケストラを指揮したラヴェルの「こどもと魔法」で、グラミー賞を受賞します。
師匠である齋藤先生の教えを糧に世界で戦ってきた小澤征爾さんが、その恐らくはその晩年期に、師匠の名を冠したオーケストラとの共演で世界で最も権威のある音楽賞であるグラミー賞を受賞したのです。
これほど胸熱で、これほど美しいことがあるでしょうか。
終わりに
僕自身、学生時代にはサークルのオーケストラで指揮を振ったこともありましたし、今でも友人らの手伝い等でたまにアマチュア・オーケストラのステージに乗ることもあります。
そのような形で、この国でクラシック音楽を楽しむことができるのは小澤征爾さん等先人達の血の滲むような戦いがあってこそなのです。
そのことを改めて強く感じ、またその労苦と志の高さに心からの喝采と感謝を送りたいです。
そして、アマチュアの立場であれ、日本のクラシックがこれからも人々の心の支えで在り続けることができるにはどうしたらよいか、改めて自分にできることを考えてみたいな、と思いました。
Twitterラヴァーズ
本日でTwitterのサービス開始から10年だそうです。
今やTwitterは単なるSNSの枠に留まらず、企業や官公庁、国のトップにまで利用される「社会インフラ」として、誰にとってもなくてはならない存在となりつつあります。
開発段階で「単なるSNSではなくコミュニケーションプロトコルを目指した」Twitterですが、当初から今と同じように万人に受け入れられるようなサービスであった訳ではありません。
Twitterが日本で大々的に流行しだしたのは2010年頃であったと思いますが、当時は独特な空気感がありました。
僕自身が初めてTwitterに登録したのも確か2009年、日本でTwitterがちょっとずつ盛り上がり始めていた頃の事でした。
その頃のTwitterは、利用者の大半がいわゆるギーク層で、今のように中高生が何も考えずに書き込んで炎上する、なんてことはほとんどありませんでした。
なんというか、「Twitterユーザーである」ということ、それ自身だけでコミュニティができてしまうような、ある種の仲間意識があったような気がします。
津田大介さんが、「tudaる」なんていってTwitter実況をしているのをみんなで楽しんだり、共通の話題でTwitter全体が盛り上がったり(当時の『バルス祭り』の熱気は、今と比べ物にならないくらいすごかった気がします)。
当時は「Twitterが世界を変える!」なんてことが真面目に議論されていて、みんな「それはさすがにないよー」なんて言いながら、こころのどこかで「そんなこともあるかもしれないな」と思っていました。
さて、それから数年経ち、いまやTwitterはギーク層に限らず老若男女、学生から政治家までがみんな認知するような、「あって当たり前」の存在になりました。
官公庁の広報から企業のカスタマーサポートまで、公的な活用も進んでいます。
また、Twitterを通して有名人と一般人がコミュニケーションを取るというのも今では見慣れた光景です。
一方、中高生が何も考えずにTwitterに犯罪行為を書き込んで炎上したり、それがニュースになったり、負の影響も目立つようになってきています。
いずれにしても、確かにTwitterは社会を変えたのかもしれません。
ただ、日本のTwitter黎明期に見られたような、コミュニティ意識はもはや跡形も無くなってしまいました。
各コミュニティやクラスタごとに共有意識はあるでしょうが、Twitterそのものはあって当たり前で、それ自身に仲間意識が芽生えるようなことはもはや無いでしょう。
これだけTwitterが普及した以上当然ですが、個人的にはちょっと寂しいですね。
あと、Twitterが普及したことによって、改めて感じたことが一つあります。
これは、LINEなんかでも共通することですが、「どんなツールを使おうが人間は人間だ」ということです。
コミュニケーションの取り方が、対面なのかネット上なのかというだけで、相手がいることには変わりがないですし、どこまでいっても最後は対人関係なんだな、ということを改めて痛感しています。
結局ね、一緒にいて楽しい奴は楽しいし、嫌いな奴は嫌いだし、いい言葉かけてもらったら嬉しいし、嫌なこと言われたら嫌だし。
ネットだろうがリアルだろうが、気遣いは絶対に必要だし、悩むことだってあるんです。
まあ、そんな当たり前のことに改めて気づかせてもらったという意味では、Twitterにはちょっと感謝しています。
さて、これから10年後の、Twitter20週年の時には、Twitterと社会はどんなふうになっているでしょうか。
バラ色の未来とまではいかないにしても、今よりもちょっとでもマシな世の中になっていればいいなあと心で祈りながら、ここらで筆を置きたいと思います。
まとまりのない長文をここまで読んでいただき、ありがとうございました。
では。